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豪州ブリスベン在住のフリーライターのブログ。 長年休眠状態だった個人ブログ「Dimatteo Blog」が、ブログ引越しの上で、復活しました!
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    豪州ブリスベン在住のフリーライター。
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    この度、拙著「日豪サッカー新時代」のエア新書からの発行が決まりました。
    http://airbook.jp/AirSIN/26435#




    これは面白い・・・・究極の自己満足ですが・・・・。
    さぁ、みなさんも束の間の文筆家気分を味わいましょう。
    でも、いつかはこうなりたいという希望も忘れずにいきます。

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    僕の母校が無くなった――4月以降、時折、そんな思いに駆られることがある。

    吉祥寺の5年通った大学は、まだあの欅並木に抱かれているし、田舎の小学校は相変わらず御笠川のそばにその何の変哲もない建物を晒している。

    無くなったのは、一番多感な6年間を過ごした「母校」。
    平成23年4月1日、我が母校・泰星中学・高校は葬り去られてしまった。物理的に学校は続いているが、もはや僕の母校では無くなってしまった。

    共学化は時代の趨勢だろうし、文句はない。むしろ、在校時にはお隣のF学園との合併の噂に胸をときめかしたくちだけに、「あと20年早く実現してたら俺の青春も少しは・・・」などと後輩を羨むくらいの気持ちがある。
    上智大学との提携強化も問題ない、生き残りのために「上智ブランド」(って、そもそもそのブランド力が福岡で通用するのか・・・)に頼ろうと言う気持ちも分かる。

    では、何がそんなに気に食わないのか・・・そう名前である。
    (ここからは思いの丈を表現するために、全編お国言葉にて)
    何やろかいな、上智福岡中学・高等学校げな変な名前にしてからくさ。
    泰星の名前はどこ行ったと。 「学校法人名には残しました」って、なんやそれ。
    大体、そげん大事なことをOB会にも諮らず、決めてからくさ。
    福岡におった人は誰も反対せんやったんかね。
    上智も福岡もどげんしても入れたいとやったら、太陽神戸三井銀行みたいに「上智福岡泰星」でもよかやん。福岡の人は泰星が福岡にあるのは分かっとっちゃけん、「上智泰星」でもよかろうもん。
    しかも、制服まで変えてからくさ、校章も校歌も変えてから、俺は許さんばい。
    俺は泰星OBばってんが、上智福岡高校とは一切関わりございません。

    て、ここまで書いて、ふと思った。
    「俺って、こんなに母校を愛してたんだ・・・」
    たかだか、校名変更にこんなに過剰反応するなと笑いたい人は、どうぞ笑ってやってください。
    今は無き、泰星中学校・高校を思うとき、何か胸がキュンとする。せめて上智福岡中学・高校の生徒の皆さんには泰星の記憶を忘れることなく、リスペクトの気持ちを持っていってもらいたい。そうすることで、この一OBの荒んだ気持ちも少しは癒され、報われるというものだ。

    友人で統廃合で小中高全部の母校を失った人間がいる。彼に比べれば僕なんてと思うが、それでもやはりこの喪失感は何かの形で残しておきたいと思った。
    母校、忘れじ難き候―――
    我が母校、泰星中学・高等学校よ永遠なれ。

     

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    6月に入って一度も更新していない・・・。
    一週間一度は更新しようと思ってはみても実践が伴わない。反省。

    その今月最初の更新も手抜きと言うわけではないが、省エネでいく。
    自家用パソコンが少々重くなって、いらないファイル整理の必要性に迫られて色々いじっている間に非常に懐かしい旧ブログのアーカイブが出てきたので、「蔵出し」ということで転載する。

    以下、転載分

    撲滅運動
    某夕刊紙上で有名な編集者H氏が、嫌いな言葉として「認知症、看護師、クールビズ」の三つを挙げていた。それらの理由の詳細はともかくとして、確かにいわゆる「言い換え語」には無理が多く不自然な物が多い。H氏の意見を借りるまでも無く、「認知症」という名称はその病の本質を表してはおらず、不可解ですらある。

    自分の場合、嫌いな言葉はどうだろう。
    言葉ではないけども、いわゆる「接客用語」の典型的表現の「よろしかったでしょうか。」だけは何としても許せない。対面中のコミニケーションを寸時に忘却に追いやる、これを無法、無礼とせずになんとする。

    この件で僕は、何度となく大手ファーストフードチェーン・Mと戦ってきた。この忌まわしき「よろしかったでしょうか」の濫用はMの店舗で頻繁に見られるからだ。
    仕事で出掛けた先の初めて入ったMで、「コーヒーにお砂糖とミルクはよろしかったでしょうか。」紛れもなく初めて入った店で、あたかも過去に同じやり取りをその店員としたことがあるかのように聞かれる。不自然。
    「オーダーは、
    ○○バーガーとコーヒーでよろしかったでしょうか。」オーダーしたのは僅か数秒前、この店員は重度の健忘症なのか。不愉快。
    何とか支払いに至っても「お会計は千円からでよろしかったでしょうか。」樋口一葉でも福沢先生でもない、僕は野口英世を出している。しかも目の前に。もういい!
    この辺になると呆れかえってしまっていて、食べる気も失せてしまう。

    Mに限らず、とにかく耳につくので、最近は撲滅運動に乗り出した。誤用にはなるべくその場で切返すようにしている。そこまでしなくともと思う方もいるだろうが、明らかな間違いを正すのは当然。たとえ、それを煙たがられても。

    これを読んだ方の中に「それのどこがおかしいの」と思った方がいたら、回りの人に聞いてみて欲しい。もしや、あなたの話し方が誰かを不愉快にしてしまっているかも知れない。あなたの仕事場で取引先で、気づかぬうちに・・・・。
    本当のコミニュケーターとは、そこまで気をつけられる人のことを言うのだろう。僕も三十を過ぎたし、そうありたいと願う。だからこそ、誤用濫用に目くじらを立てるのだ。
    僕はこれからも闘い続ける、「よろしかったでしょうか」の誤用が無くなる日まで。

    以上、転載終わる。

    この文章、2005年7月8日の日付が入っているのだが、最近の日本ではどうなのだろうか?
    幸か不幸か、この文章をブログに載せた半年後には僕は日本を離れているので、絶対的に日本語の誤用との接触の機会が減った。それでも若い子と話すと正直戸惑うことも少なくない。
    補足まで、この「よろしかったでしょうか?」に関しての解説のリンクを貼っておく。これによるとM社は公式にその使用を推進しているのだと・・・・
    http://www.ninjal.ac.jp/products-k/kokken_mado/11/05/


    それでは、今日のブログをこれで終わりにしてよろしかったでしょうか?
    この使い方でよろしかったでしょうか?・・・(苦笑)
     

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    児玉清さんが逝った。
    前々回日本に帰ったときにテレビで見かけたときに、少し痩せたんじゃないなんて母と話していたのがブラウン管で見た最後だろうか。

    児玉さんといえば、『アタック25』。あの名司会ぶりは名人芸の域だった。
    今だから言えるが、高校時代に自分の雑学の知識を試したく『アタック25』の回答者募集に応募したことがある。テレビ局からの何の音沙汰も無かったので、はがき選考で漏れたのかもしれない。そもそも、高校生が応募できたのか、そのあたりからして怪しいものだ。
    アタック25での児玉さんは、知性がにじみ出て、やさしさとシャープさの入り混じったなんとも素敵なおじさんだった。学習院大卒というのもうなずける品の良さ、何かほかの俳優さんと居住まいが違った。

    福岡の人間にしてみれば、ローカルタレントに過ぎなかった博多華丸・大吉の出世のきっかけともなった有難い存在だ。ちょっと無理があるかもしれないが、今の局アナさんではなく(見たことはないが)博多華丸が二代目継承って線は無いのだろうか。テレビ界では、『ルパン三世』のアフレコを、名人山田康雄の後を襲って、その物まねをレパートリーしていた栗田貫一が二代目を襲名した前例(?)もあるわけで、話題性も十分だし、ぜひ検討してみてはいかがだろうか。

    近年の児玉さんの活躍では、久々の大河ドラマ出演となった『龍馬伝』で龍馬の父・坂本八平役がやはり印象的だった。遅くに出来た息子龍馬を見守る父の愛を心に響く演技で演じていたが、思えばそのときの病に伏したシーンなどがかなり真に迫るものだったのだが、その頃から体調は万全ではなかったのだろうか。

    児玉清、好きな俳優さんがまた一人、鬼籍に入った。
    日ごろ、追悼文なんて書かないのだが、今回は何か書きたいと思った。私個人としてはそれくらいに惜しい人をなくしたと感じている。
    アタックチャンスは二度とない、今となればあの司会で回答席にぜひ座ってみたかった。

    心より、児玉清さんのご冥福をお祈りいたします。

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    不肖アルベルト、ジュリア・ギラード豪首相、そして天皇皇后両陛下。
    不肖の身を、豪首相はともかくとして両陛下と同列に並べるなどという身の程をわきまえぬことを謝した上で、本題に入る。

    じつは、この三者(厳密に言えば4人)共通項がある。
    畏れ多くも両陛下と共通項とは身の程知らなさにも程がある、と言われかねないのは承知しているが、共通項はあるのだから、もう少し書き進めさせてほしい。

    東日本大震災の甚大な被害地域として報道にも多く取り上げられる宮城県南三陸町。
    私は、そこを4月13日に訪れ、取材活動を行い、色々な人に話を聞いた。4月23日にはジュリア・ギラード豪首相も外国首脳として初めて同町を訪問した。そして昨日、天皇皇后両陛下が南三陸町に行幸され、被災者を見舞われた。
    そう、共通項は「南三陸訪問」だ。

    何が言いたいのか、
    私は一介のフリーライター、影響力などまったく持たないが、自分が南三陸で見聞きしたことを拙い文章で豪州の日本人コミュニティには伝えられる。写真や映像ならば周りの豪州人にも伝えられる。大震災への関心を引き止めるためには多少なりとも力になれたかなとの自負はある。

    ギラード首相の訪問には、当然多くの豪メディアが同行した。
    ここ数週間は、日本の震災関連の露出が激減していたこの国のメディアで久々に日本の被災地の現状が伝えられた。ギラード首相の今回の訪問は、急激に関心が薄れつつあった豪州の世論の関心を少しでも引き戻せたのであれば、その意味は大きい。

    そして、天皇皇后両陛下。
    お二人が被災地入りすることの影響はとてつもなく大きい。どれだけの被災者が、その行為にそしてお言葉に勇気付けられるだろうか。当然、海外メディアも取り上げる。特に、原発関連にヒステリックな外国マスコミは5月11日に予定される両陛下の福島ご訪問をどう語るのだろうか。身をもって風評被害を跳ね返す両陛下の態度にひたすら頭が下がる。

    それぞれの影響力で、被災地の有り様を伝える。そして、それぞれのできることで被災地の力になる。
    私の場合はそれが記事であり、J-Reliefである。ギラード首相のそれは、レアアースや天然ガスの安定供給の約束であり、自らの態度で豪州が日本の被災者と共にあることを示す行為。
    天皇皇后両陛下の場合は、毎日の復興への祈り、そして今回の被災者への激励だ。

    一人でも多くの人が、それぞれの立場で出来ることをやる、それぞれの立場で被災地の現況を伝える、その繰り返しが復興の歩みを速めることはいうまでもない。
    天皇皇后両陛下の南三陸町へのご訪問のニュースを見て、つらつら思ったことである。

    アルベルト

    12/5 改題の上で、一部修正。

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