僕の母校が無くなった――4月以降、時折、そんな思いに駆られることがある。
吉祥寺の5年通った大学は、まだあの欅並木に抱かれているし、田舎の小学校は相変わらず御笠川のそばにその何の変哲もない建物を晒している。
無くなったのは、一番多感な6年間を過ごした「母校」。
平成23年4月1日、我が母校・泰星中学・高校は葬り去られてしまった。物理的に学校は続いているが、もはや僕の母校では無くなってしまった。
共学化は時代の趨勢だろうし、文句はない。むしろ、在校時にはお隣のF学園との合併の噂に胸をときめかしたくちだけに、「あと20年早く実現してたら俺の青春も少しは・・・」などと後輩を羨むくらいの気持ちがある。
上智大学との提携強化も問題ない、生き残りのために「上智ブランド」(って、そもそもそのブランド力が福岡で通用するのか・・・)に頼ろうと言う気持ちも分かる。
では、何がそんなに気に食わないのか・・・そう名前である。
(ここからは思いの丈を表現するために、全編お国言葉にて)
何やろかいな、上智福岡中学・高等学校げな変な名前にしてからくさ。
泰星の名前はどこ行ったと。 「学校法人名には残しました」って、なんやそれ。
大体、そげん大事なことをOB会にも諮らず、決めてからくさ。
福岡におった人は誰も反対せんやったんかね。
上智も福岡もどげんしても入れたいとやったら、太陽神戸三井銀行みたいに「上智福岡泰星」でもよかやん。福岡の人は泰星が福岡にあるのは分かっとっちゃけん、「上智泰星」でもよかろうもん。
しかも、制服まで変えてからくさ、校章も校歌も変えてから、俺は許さんばい。
俺は泰星OBばってんが、上智福岡高校とは一切関わりございません。
て、ここまで書いて、ふと思った。
「俺って、こんなに母校を愛してたんだ・・・」
たかだか、校名変更にこんなに過剰反応するなと笑いたい人は、どうぞ笑ってやってください。
今は無き、泰星中学校・高校を思うとき、何か胸がキュンとする。せめて上智福岡中学・高校の生徒の皆さんには泰星の記憶を忘れることなく、リスペクトの気持ちを持っていってもらいたい。そうすることで、この一OBの荒んだ気持ちも少しは癒され、報われるというものだ。
友人で統廃合で小中高全部の母校を失った人間がいる。彼に比べれば僕なんてと思うが、それでもやはりこの喪失感は何かの形で残しておきたいと思った。
母校、忘れじ難き候―――
我が母校、泰星中学・高等学校よ永遠なれ。
6月に入って一度も更新していない・・・。
一週間一度は更新しようと思ってはみても実践が伴わない。反省。
その今月最初の更新も手抜きと言うわけではないが、省エネでいく。
自家用パソコンが少々重くなって、いらないファイル整理の必要性に迫られて色々いじっている間に非常に懐かしい旧ブログのアーカイブが出てきたので、「蔵出し」ということで転載する。
以下、転載分