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    <title>Dimatteo Blog 改</title>
    <description>豪州ブリスベン在住のフリーライターのブログ。
長年休眠状態だった個人ブログ「Dimatteo Blog」が、ブログ引越しの上で、復活しました！</description>
    <link>https://takauematsu.blog.shinobi.jp/</link>
    <language>ja</language>
    <copyright>Copyright (C) NINJATOOLS ALL RIGHTS RESERVED.</copyright>

    <item>
      <title>67回目の夏</title>
      <description>本日は、67回目の終戦記念日。&lt;br /&gt;
一年前の同じ日にアップした内容と思いは変わらない。&lt;a href=&quot;http://takauematsu.blog.shinobi.jp/Entry/15/&quot;&gt;http://takauematsu.blog.shinobi.jp/Entry/15/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
さらに、政治家達の動きの鈍さも一向に変わらない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
変わったのは、終戦記念日を前にして急速に悪化した日韓関係だけ。&lt;br /&gt;
韓国大統領の竹島不法上陸に端を発しての、韓国側の常軌を逸した一連の愚行のオンパレードで、日韓関係は近年には例を見ないほどに冷え込んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
8月15日という日が、韓国にとっての主権回復の日で彼らにとって重要な日であることは理解しているし、尊重する。は事実であり、その大事な日を韓国民がどう祝おうが、私には何の関係も無い。同じ日は、日本にとっては大戦の戦禍を思い起し、国のために殉じた人々を慰霊する祈りの日である。その大事な日を、浅薄なプロパガンダでもって貶めるということを平気でやってのける彼らの神経を大いに疑う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>https://takauematsu.blog.shinobi.jp/%E9%9B%91%E8%A8%98/67%E5%9B%9E%E7%9B%AE%E3%81%AE%E5%A4%8F</link> 
    </item>
    <item>
      <title>67年目の沖縄</title>
      <description>&lt;p&gt;
	今日、6月25日は1945年6月25日に大本営が沖縄での組織的な戦闘の終結を発表した日。&lt;br /&gt;
	この後、終戦後まで散発的な抗戦は続くものの、この日で大本営は沖縄を「見捨てた」という意味で非常に象徴的な日である。&lt;br /&gt;
	&lt;br /&gt;
	今日という一日、一瞬でも構わないので、当時の沖縄の海軍最高指揮官であった大田実中将が訣別電の中に残した「沖縄県民斯ク戦ヘリ　県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」の有名な一文を思い起して、激戦に散った沖縄の人々や日本の軍人達に思いを馳せ、今の沖縄の有り様を考えてみる機会を持つことをお勧めしたい。&lt;br /&gt;
	&lt;br /&gt;
	沖縄の痛みは、日本の痛みのはずなのだが・・・・戦後の政府は、死出の間際での将軍の強い思いを無下にし続けてきただけではなく、沖縄の人々の思いを踏みにじってきた。&lt;br /&gt;
	&lt;br /&gt;
	10歳で沖縄戦を迎えた人々も77歳、喜寿を迎える。実際に銃を手に戦った人は、軒並み90代を迎えようとしている。実体験者に目に見えた形で報いていくには、残された時間はあまりに少ない。&lt;br /&gt;
	&lt;br /&gt;
	67年目の夏、そろそろ国民全部が沖縄の痛みを軽減できるよう意識し、行動していくことが必要なのでないだろうか。&lt;br /&gt;
	昨年の大震災で、特に若い日本人に&amp;ldquo;絆&amp;rsquo;なる意識が芽生えたのであれば、戦後67年苦しみ続けた沖縄への思いこそ、その&amp;ldquo;絆&amp;rdquo;の中に組み込む必要がある。&lt;br /&gt;
	&lt;br /&gt;
	沖縄と琉球諸島の島々は、硫黄島と並んで、本土で過酷な地上戦を経験した。戦争の爪あとは、我々が想像する以上に、深く癒えない傷として残っている。沖縄戦の終結したこの日、イデオロギーを超越したところでの沖縄戦への理解を深めることが、少しでもその癒えない傷を軽減する力になるのであれば、少しは、ほんの少しは沖縄の戦陣に散った人々への手向けとなるであろう。&lt;/p&gt;
</description> 
      <link>https://takauematsu.blog.shinobi.jp/%E9%9B%91%E8%A8%98/67%E5%B9%B4%E7%9B%AE%E3%81%AE%E6%B2%96%E7%B8%84</link> 
    </item>
    <item>
      <title>イングリッシュ・ネームのお話</title>
      <description>　海外に長く暮らしていて、自分の名前（特に苗字）を説明するのは日常茶飯事。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　英語の常識的な感覚で、私の苗字の頭に母音が二つ続くというスペルが有り得ないらしく、「何と読むの」とよく聞かれる。教えても、二度目以降もまともに発音してもらえないのも分かっているので、今は正しく読まれること自体を諦めている。僕はここで、「ユイーマツ」なのだ。もちろん、自分の苗字には誇りを持っているが、すぐに覚えてもらえる「ホンダさん」や「カワサキ」さんが少々羨ましくもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　下の名前は苗字ほどではないが、やはり読みづららしい。そこで、通称の必要性が生じる。 僕は、「コミュニケーションには名前を覚えてもらうのが大事」との思いで、外国人と関わりのできたかなり早い段階から、名前の一部分を海外にいるときの通称として用いている。　&lt;br /&gt;
　日本人（特に男性）は、こういうケースが多い。ニックネームを用いる必要が生じた際、名前の一部を残し、日本語としての名前を維持しようとするのがほとんどだ。したがって、海外の日本人社会にはヒデさん、ヤスさん、ヒロさんがいっぱいいる。名前がかぶるケースもままあるが、そんなこと言ったら、現地人のジョンでありクリスはどうなるということで、あまり気にならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　日本人でも、イングリッシュ・ネームを用いる人もいるが、ほとんどはニックとかサリーとか馴染みのある名前で突飛な名前は見かけない。もともとが「呼びにくい、覚えてもらいにくい」という弊害を無くすためのイングリッシュ・ネームであるから、そのコンセプトに基づけばシンプルな名前をチョイスするのが僕ら日本人の全うな感覚。しかし、日本の隣国から来る人々はそうではない。 彼らも必要に迫られて、イングリッシュ・ネームを持つ。ここまでは日本人と同じだ。あのカンフースター、リー・リン・チェンもハリウッド進出と同時にジェット・リーになった。このような前例は沢山ある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし、彼らは少し違うセンスを持っていて、日本人にしてみれば度が過ぎる、とんでもない名前にしばしばお目にかかる。自分が仮にそんなイングリッシュ・ネームを持ったら恥ずかしくて自己紹介なんてできやしない・・・って代物。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　実例を挙げよう。&lt;br /&gt;
　女性の名前でダイアモンド・・・確かに同じ鉱石のルビーやジェイドはよくある名前だし、クリスタルも許容範囲。しかし、ダイアモンド・・・よほど頭が硬いのか。この名前が許されるのは、ダイアモンド☆ユカイくらいだろう、って分からない？&lt;br /&gt;
　まだある。女の子の名前でティンクル。一瞬は可愛い名前かなと感じだが、当の本人は全然、キラりとしないから、やっぱり名前負け。続いては、これも若い女性でジプシー。何ゆえ・・・どこかを流離っているのだろうか。友達の友達にはピンキーという子がいるらしい、ここまで来るとアニメの世界だろう。あとは、シャイニーとか&amp;ldquo;形容詞系&amp;rdquo;は結構多いが、ネイティブ的には「名前として有り得ない」というチョイスばかり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　男性では、そんなに良い例を思いつかないが、以前、マイティーっていう男がいると聞いて、会う前から僕の頭の中では「マイティー井上」しか思い浮かばなくなったってことはあった。あとは、格好いいと思ってクーガー（ピューマの別名）という名前を選んだはいいが、この言葉に「年下のおもに草食系男子を追いかける30代から40代の肉食系女子」という予期せぬ意味が後付けされ、今は&amp;ldquo;I am Cougar&amp;rdquo;と自己紹介がし辛くなったなんていう笑い話のような話もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　 昨今、わが国でも「え・・」と絶句するような勘違いネーミングをよく見かける。それと本質的には変わらないわけで、隣の国の人々のセンスを笑ってばかりはいられない。ここで言えることは、イングリッシュ・ネームの選択は以下の二つの考えがあるということ。それは、ユニークなことに意義を見出しインパクトで覚えてもらうか、それとも奇をてらわずにシンプルに徹するか。&lt;br /&gt;
　僕がイングリッシュ・ネームを必要とするならば、その両者折衷の&amp;ldquo;Tucker&amp;rdquo;だ。元々は苗字だが、しばしば名前にも使われ、しかもオージー英語では食べ物全般を表す俗語で覚えやすくインパクトもある。というか、自分が何も言わずとも、結構な頻度で僕の名前をそうスペルする人は多い。TakaでもTuckerでも、どちらでも一向に気にならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　名前はやっぱり大事。自分が格好いいと思っても、他の人がどう思うかまで考えたほうがいいと思うが、まあなかなか図太い国民性の彼らのことだ。まったく意に介さないだろうから、ここで僕が何かを言っても意味がない。&lt;br /&gt;
　そうするうちに新たな珍名さんが、ここ豪州に渡ってくるのであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　そんなこんなで、当世イングリッシュ・ネーム事情のお話でありました。</description> 
      <link>https://takauematsu.blog.shinobi.jp/%E9%9B%91%E8%A8%98/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AE%E3%81%8A%E8%A9%B1</link> 
    </item>
    <item>
      <title>終戦の日に思う</title>
      <description>８月１５日、先の大戦が終わった日である。&lt;br /&gt;
日本にとっては敗北であり、敵国であった連合国側にとっては勝利、アジア諸国には主権回復の日であり、旧日本領にとっては解放の日であった。立場はどうあれ、この日は世界中に多くの犠牲を強いた未曾有の大戦が終わり、世界の歴史の大転換点となった重要な日であることに変わりはない。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先の大戦では、日本だけでも210万人近くが犠牲になり、そのうちの８割以上の約174万人が軍人・軍属の戦死・戦病死者。今日の戦没者追悼式で天皇陛下が、「全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し」と述べられたように、戦後66年が経った今でも、国民は等しく国のために戦い散った尊い犠牲に対しての追悼の念を表していかねばならないはずだ。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、非常に残念なことに、日本ではそれができていない。戦陣に散った戦死者の慰霊、顕彰を国民の総意としてきちんとした形で行えないのは、先の戦争に関わった国の中で日本だけであろう。今の日本では、国を導く政治家たちが国のために戦い命を落とした人々が祀られる場所で頭を垂れることすらも憚り、隣国の顔色を伺う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こんな馬鹿げたことはもう止めにしたほうが良い。先の大戦で散った人々の犠牲があったからこそ、今の日本がある。何で、彼らの霊を慰めるための純粋な行為を、外国がとやかく言うのだろうか。しかも、なぜ日本がその国々の顔色を伺わねばならないのだろうか。戦争で若い命を賭して戦った彼らへの素直なリスペクトを表するだけで「右翼」呼ばわりされるような今の日本は、果たして彼らが命を賭けて守ったに値する国たり得ているのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今年も閣僚は誰も靖国神社に参らない。靖国神社を参拝した議員は議員総数の1割にも満たない。「何かがおかしい」、僕は太平洋の彼方でそう思いながら、せめて自分だけでもと太平洋に散った先達のために線香を上げて静かに頭を垂れることにした。 　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本当に静かな夜、66年目の終戦の日も静かに暮れ行こうとしている。 </description> 
      <link>https://takauematsu.blog.shinobi.jp/%E9%9B%91%E8%A8%98/%E7%B5%82%E6%88%A6%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%81%AB%E6%80%9D%E3%81%86</link> 
    </item>
    <item>
      <title>堕ちた歌姫</title>
      <description>&lt;div style=&quot;margin: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;　エイミー・ワインハウスが&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;27&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;歳の太く短い人生を駆けぬけっていった。&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
　&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;独特の容貌、刺青が刻み込まれた華奢な身体に不似合いなソウルフルなボーカル。キャラの濃さ以上に際立つボーカリストとしての実力に、彼女がブレイクして世に出てすぐには久々の「本物」登場と思ったものだ。&lt;br /&gt;
　しかし、その後の彼女はその類希な才能を充分に発揮しきれないまま、ドラッグ絡みのニュースでのみ世間を騒がせた。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
　&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;そして届いた凶報、先月のベオグラードでのライブでの醜態を伝えた報道の直後ではそんなに驚かなかったのが正直なところだ。その訃報を伝えるメディアの論調からも「彼女ならこんなことも予期できた」というような予定調和のニュアンスが読み取れたくらいだ。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-indent: 9pt; margin: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-indent: 9pt; margin: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;27&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;歳、この年齢は有名アーティストにとっては一種の鬼門。俗に「&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;the 27 club&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;」と呼ばれ、過去も才能のある多くの音楽界のスーパースター達がこの年齢で世を去っている。ジャニス・ジョプリンしかり、ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソン、ニルヴァーナのカート・コバーン・・・・。&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;2008&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;年グラミー&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;5&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;冠で一世を風靡したエイミー・ワインハウスも、これから後は伝説のスターと同列に扱われることになる。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-indent: 9pt; margin: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-indent: 9pt; margin: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;ドラッグに溺れ、アルコールに身を預け続けたエイミーは、結果的にその人生の最後のステージとなってしまった栄光からの転落の日々で一体何を思い続けたのだろうか。本当に再起を図るつもりがあったのか。受動的ニヒリズムの悪循環に陥り、身を滅ぼさざるを得なかったのか。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-indent: 9pt; margin: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;生前の彼女は、果たして前述の「&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;the 27 Club&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;」を多少なりとも意識したことがあるのだろうか。もし、ドラッグで身を滅ぼしつつある自らのアーティストとしての名声を伝説として残せるのでは・・などと少しでも考えていたのであれば、ドラッグやアルコールは彼女の正常な思考回路も蝕んでいたと言わざるを得ない。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-indent: 9pt; margin: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;そう考えたとき、自分も含め世間がこの「&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;The 27 Club&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;」なる&amp;ldquo;偶然&amp;rdquo;について触れ続けることはあまり得策ではないと思うに至った。「自分も偉大なるアーティストと同列に扱われたい」などという不純な動機で死に走る（そもそも死に走ること自体が不純だが）人が今後も現れないとも限らない。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-indent: 9pt; margin: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-indent: 9pt; margin: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;一度堕ちた歌姫は、復活ならずに逝った。&lt;br /&gt;
　エイミー・ワインハウスの&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;27&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;歳での夭折、好むも好まざるも彼女はこれで伝説となる。その自暴自棄的な生き様にシンパシーは感じるのはなかなか難しいが、その才能の損失は本当に惜しまれてならない。&lt;br /&gt;
　&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt&quot;&gt;今はとにかく安らかに眠ってもらいたい。　合掌&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;</description> 
      <link>https://takauematsu.blog.shinobi.jp/%E8%BF%BD%E6%82%BC%E6%96%87/%E5%A0%95%E3%81%A1%E3%81%9F%E6%AD%8C%E5%A7%AB</link> 
    </item>
    <item>
      <title>お知らせ</title>
      <description>この度、拙著「日豪サッカー新時代」のエア新書からの発行が決まりました。&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://airbook.jp/AirSIN/26435&quot;&gt;http://airbook.jp/AirSIN/26435&lt;/a&gt;#&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これは面白い・・・・究極の自己満足ですが・・・・。&lt;br /&gt;
さぁ、みなさんも束の間の文筆家気分を味わいましょう。&lt;br /&gt;
でも、いつかはこうなりたいという希望も忘れずにいきます。</description> 
      <link>https://takauematsu.blog.shinobi.jp/%E9%9B%91%E8%A8%98/%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B</link> 
    </item>
    <item>
      <title>母校、忘れじ難き候</title>
      <description>&lt;p&gt;僕の母校が無くなった――4月以降、時折、そんな思いに駆られることがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
吉祥寺の５年通った大学は、まだあの欅並木に抱かれているし、田舎の小学校は相変わらず御笠川のそばにその何の変哲もない建物を晒している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無くなったのは、一番多感な６年間を過ごした「母校」。&lt;br /&gt;
平成23年4月1日、我が母校・泰星中学・高校は葬り去られてしまった。物理的に学校は続いているが、もはや僕の母校では無くなってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
共学化は時代の趨勢だろうし、文句はない。むしろ、在校時にはお隣のF学園との合併の噂に胸をときめかしたくちだけに、「あと20年早く実現してたら俺の青春も少しは・・・」などと後輩を羨むくらいの気持ちがある。&lt;br /&gt;
上智大学との提携強化も問題ない、生き残りのために「上智ブランド」（って、そもそもそのブランド力が福岡で通用するのか・・・）に頼ろうと言う気持ちも分かる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
では、何がそんなに気に食わないのか・・・そう名前である。&lt;br /&gt;
（ここからは思いの丈を表現するために、全編お国言葉にて）&lt;br /&gt;
何やろかいな、上智福岡中学・高等学校げな変な名前にしてからくさ。&lt;br /&gt;
泰星の名前はどこ行ったと。　「学校法人名には残しました」って、なんやそれ。&lt;br /&gt;
大体、そげん大事なことをＯＢ会にも諮らず、決めてからくさ。&lt;br /&gt;
福岡におった人は誰も反対せんやったんかね。&lt;br /&gt;
上智も福岡もどげんしても入れたいとやったら、太陽神戸三井銀行みたいに「上智福岡泰星」でもよかやん。福岡の人は泰星が福岡にあるのは分かっとっちゃけん、「上智泰星」でもよかろうもん。&lt;br /&gt;
しかも、制服まで変えてからくさ、校章も校歌も変えてから、俺は許さんばい。&lt;br /&gt;
俺は泰星ＯＢばってんが、上智福岡高校とは一切関わりございません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
て、ここまで書いて、ふと思った。&lt;br /&gt;
「俺って、こんなに母校を愛してたんだ・・・」&lt;br /&gt;
たかだか、校名変更にこんなに過剰反応するなと笑いたい人は、どうぞ笑ってやってください。&lt;br /&gt;
今は無き、泰星中学校・高校を思うとき、何か胸がキュンとする。せめて上智福岡中学・高校の生徒の皆さんには泰星の記憶を忘れることなく、リスペクトの気持ちを持っていってもらいたい。そうすることで、この一ＯＢの荒んだ気持ちも少しは癒され、報われるというものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
友人で統廃合で小中高全部の母校を失った人間がいる。彼に比べれば僕なんてと思うが、それでもやはりこの喪失感は何かの形で残しておきたいと思った。&lt;br /&gt;
母校、忘れじ難き候―――&lt;br /&gt;
我が母校、泰星中学・高等学校よ永遠なれ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;nbsp;&lt;/p&gt;</description> 
      <link>https://takauematsu.blog.shinobi.jp/%E9%9B%91%E8%A8%98/%E6%AF%8D%E6%A0%A1%E3%80%81%E5%BF%98%E3%82%8C%E3%81%98%E9%9B%A3%E3%81%8D%E5%80%99</link> 
    </item>
    <item>
      <title>蔵出し　『撲滅運動』</title>
      <description>&lt;p&gt;6月に入って一度も更新していない・・・。&lt;br /&gt;
一週間一度は更新しようと思ってはみても実践が伴わない。反省。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その今月最初の更新も手抜きと言うわけではないが、省エネでいく。&lt;br /&gt;
自家用パソコンが少々重くなって、いらないファイル整理の必要性に迫られて色々いじっている間に非常に懐かしい旧ブログのアーカイブが出てきたので、「蔵出し」ということで転載する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下、転載分&lt;/p&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: left; line-height: 140%; margin: 0mm 0mm 0pt; background: white&quot; align=&quot;left&quot;&gt;&lt;b&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 140%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;撲滅運動&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: left; line-height: 150%; margin: 0mm 0mm 0pt; background: white&quot; align=&quot;left&quot;&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;某夕刊紙上で有名な編集者Ｈ氏が、嫌いな言葉として「認知症、看護師、クールビズ」の三つを挙げていた。それらの理由の詳細はともかくとして、確かにいわゆる「言い換え語」には無理が多く不自然な物が多い。Ｈ氏の意見を借りるまでも無く、「認知症」という名称はその病の本質を表してはおらず、不可解ですらある。&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;自分の場合、嫌いな言葉はどうだろう。&lt;br /&gt;
言葉ではないけども、いわゆる「接客用語」の典型的表現の「よろしかったでしょうか。」だけは何としても許せない。対面中のコミニケーションを寸時に忘却に追いやる、これを無法、無礼とせずになんとする。&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;この件で僕は、何度となく大手ファーストフードチェーン・Ｍと戦ってきた。この忌まわしき「よろしかったでしょうか」の濫用はＭの店舗で頻繁に見られるからだ。&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;仕事で出掛けた先の初めて入ったＭで、「コーヒーにお砂糖とミルクはよろしかったでしょうか。」紛れもなく初めて入った店で、あたかも過去に同じやり取りをその店員としたことがあるかのように聞かれる。不自然。&lt;br /&gt;
「オーダーは、&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;○○&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;バーガーとコーヒーでよろしかったでしょうか。」オーダーしたのは僅か数秒前、この店員は重度の健忘症なのか。不愉快。&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;何とか支払いに至っても「お会計は千円からでよろしかったでしょうか。」樋口一葉でも福沢先生でもない、僕は野口英世を出している。しかも目の前に。もういい！&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;この辺になると呆れかえってしまっていて、食べる気も失せてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;Mに限らず、とにかく耳につくので、最近は撲滅運動に乗り出した。誤用にはなるべくその場で切返すようにしている。そこまでしなくともと思う方もいるだろうが、明らかな間違いを正すのは当然。たとえ、それを煙たがられても。&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;これを読んだ方の中に「それのどこがおかしいの」と思った方がいたら、回りの人に聞いてみて欲しい。もしや、あなたの話し方が誰かを不愉快にしてしまっているかも知れない。あなたの仕事場で取引先で、気づかぬうちに・・・・。&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;本当のコミニュケーターとは、そこまで気をつけられる人のことを言うのだろう。僕も三十を過ぎたし、そうありたいと願う。だからこそ、誤用濫用に目くじらを立てるのだ。&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;line-height: 150%; color: black; font-size: 10pt&quot;&gt;僕はこれからも闘い続ける、「よろしかったでしょうか」の誤用が無くなる日まで。&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;border-bottom: medium none; border-left: medium none; padding-bottom: 0mm; padding-left: 0mm; padding-right: 0mm; background: white; border-top: #cccccc 1pt solid; border-right: medium none; padding-top: 2pt&quot;&gt;&lt;br /&gt;
以上、転載終わる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この文章、2005年7月8日の日付が入っているのだが、最近の日本ではどうなのだろうか？&lt;br /&gt;
幸か不幸か、この文章をブログに載せた半年後には僕は日本を離れているので、絶対的に日本語の誤用との接触の機会が減った。それでも若い子と話すと正直戸惑うことも少なくない。&lt;br /&gt;
補足まで、この「よろしかったでしょうか？」に関しての解説のリンクを貼っておく。これによるとＭ社は公式にその使用を推進しているのだと・・・・&lt;a href=&quot;http://www.ninjal.ac.jp/products-k/kokken_mado/11/05/&quot;&gt;&lt;br /&gt;
http://www.ninjal.ac.jp/products-k/kokken_mado/11/05/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでは、今日のブログをこれで終わりにしてよろしかったでしょうか？&lt;br /&gt;
この使い方でよろしかったでしょうか？・・・（苦笑）&lt;br /&gt;
&amp;nbsp;&lt;/div&gt;</description> 
      <link>https://takauematsu.blog.shinobi.jp/%E9%9B%91%E8%A8%98/%E8%94%B5%E5%87%BA%E3%81%97%E3%80%80%E3%80%8E%E6%92%B2%E6%BB%85%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%80%8F</link> 
    </item>
    <item>
      <title>アタックチャンスは二度とない</title>
      <description>児玉清さんが逝った。&lt;br /&gt;
前々回日本に帰ったときにテレビで見かけたときに、少し痩せたんじゃないなんて母と話していたのがブラウン管で見た最後だろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
児玉さんといえば、『アタック２５』。あの名司会ぶりは名人芸の域だった。&lt;br /&gt;
今だから言えるが、高校時代に自分の雑学の知識を試したく『アタック２５』の回答者募集に応募したことがある。テレビ局からの何の音沙汰も無かったので、はがき選考で漏れたのかもしれない。そもそも、高校生が応募できたのか、そのあたりからして怪しいものだ。&lt;br /&gt;
アタック２５での児玉さんは、知性がにじみ出て、やさしさとシャープさの入り混じったなんとも素敵なおじさんだった。学習院大卒というのもうなずける品の良さ、何かほかの俳優さんと居住まいが違った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
福岡の人間にしてみれば、ローカルタレントに過ぎなかった博多華丸・大吉の出世のきっかけともなった有難い存在だ。ちょっと無理があるかもしれないが、今の局アナさんではなく（見たことはないが）博多華丸が二代目継承って線は無いのだろうか。テレビ界では、『ルパン三世』のアフレコを、名人山田康雄の後を襲って、その物まねをレパートリーしていた栗田貫一が二代目を襲名した前例（？）もあるわけで、話題性も十分だし、ぜひ検討してみてはいかがだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年の児玉さんの活躍では、久々の大河ドラマ出演となった『龍馬伝』で龍馬の父・坂本八平役がやはり印象的だった。遅くに出来た息子龍馬を見守る父の愛を心に響く演技で演じていたが、思えばそのときの病に伏したシーンなどがかなり真に迫るものだったのだが、その頃から体調は万全ではなかったのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
児玉清、好きな俳優さんがまた一人、鬼籍に入った。&lt;br /&gt;
日ごろ、追悼文なんて書かないのだが、今回は何か書きたいと思った。私個人としてはそれくらいに惜しい人をなくしたと感じている。&lt;br /&gt;
アタックチャンスは二度とない、今となればあの司会で回答席にぜひ座ってみたかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
心より、児玉清さんのご冥福をお祈りいたします。</description> 
      <link>https://takauematsu.blog.shinobi.jp/%E9%9B%91%E8%A8%98/%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AF%E4%BA%8C%E5%BA%A6%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%84</link> 
    </item>
    <item>
      <title>身の程知らず</title>
      <description>不肖アルベルト、ジュリア・ギラード豪首相、そして天皇皇后両陛下。&lt;br /&gt;
不肖の身を、豪首相はともかくとして両陛下と同列に並べるなどという身の程をわきまえぬことを謝した上で、本題に入る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
じつは、この三者（厳密に言えば4人）共通項がある。&lt;br /&gt;
畏れ多くも両陛下と共通項とは身の程知らなさにも程がある、と言われかねないのは承知しているが、共通項はあるのだから、もう少し書き進めさせてほしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東日本大震災の甚大な被害地域として報道にも多く取り上げられる宮城県南三陸町。&lt;br /&gt;
私は、そこを4月13日に訪れ、取材活動を行い、色々な人に話を聞いた。4月23日にはジュリア・ギラード豪首相も外国首脳として初めて同町を訪問した。そして昨日、天皇皇后両陛下が南三陸町に行幸され、被災者を見舞われた。&lt;br /&gt;
そう、共通項は「南三陸訪問」だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何が言いたいのか、&lt;br /&gt;
私は一介のフリーライター、影響力などまったく持たないが、自分が南三陸で見聞きしたことを拙い文章で豪州の日本人コミュニティには伝えられる。写真や映像ならば周りの豪州人にも伝えられる。大震災への関心を引き止めるためには多少なりとも力になれたかなとの自負はある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ギラード首相の訪問には、当然多くの豪メディアが同行した。&lt;br /&gt;
ここ数週間は、日本の震災関連の露出が激減していたこの国のメディアで久々に日本の被災地の現状が伝えられた。ギラード首相の今回の訪問は、急激に関心が薄れつつあった豪州の世論の関心を少しでも引き戻せたのであれば、その意味は大きい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、天皇皇后両陛下。&lt;br /&gt;
お二人が被災地入りすることの影響はとてつもなく大きい。どれだけの被災者が、その行為にそしてお言葉に勇気付けられるだろうか。当然、海外メディアも取り上げる。特に、原発関連にヒステリックな外国マスコミは5月11日に予定される両陛下の福島ご訪問をどう語るのだろうか。身をもって風評被害を跳ね返す両陛下の態度にひたすら頭が下がる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それぞれの影響力で、被災地の有り様を伝える。そして、それぞれのできることで被災地の力になる。&lt;br /&gt;
私の場合はそれが記事であり、J-Reliefである。ギラード首相のそれは、レアアースや天然ガスの安定供給の約束であり、自らの態度で豪州が日本の被災者と共にあることを示す行為。&lt;br /&gt;
天皇皇后両陛下の場合は、毎日の復興への祈り、そして今回の被災者への激励だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一人でも多くの人が、それぞれの立場で出来ることをやる、それぞれの立場で被災地の現況を伝える、その繰り返しが復興の歩みを速めることはいうまでもない。&lt;br /&gt;
天皇皇后両陛下の南三陸町へのご訪問のニュースを見て、つらつら思ったことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アルベルト&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12/5　改題の上で、一部修正。</description> 
      <link>https://takauematsu.blog.shinobi.jp/%E9%9B%91%E8%A8%98/%E8%BA%AB%E3%81%AE%E7%A8%8B%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9A</link> 
    </item>

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